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9 学総:地区大会




 地区大会二日目の朝、わたしは少し曇った空を見上げ、ため息をついた。


「暇だねー」


 黒目二中と道路を挟んで隣り合わせている市営博物館の駐車場入り口で、わたしは『保護者駐車場』の看板を持ったまま地べたに座り込んだ。地区大会は市大会と同じく黒目二中で行われる。黒目一中の一年生は、役員として大会の手伝いをしていた。わたしは駐車場案内係だ。


「そうだね」


 わたしと一緒に案内係にあてがわれた碧が、立ったまま同意した。他にも荻野と橋場がいるが、その二人は駐車場に少し入ったたところでやっぱりゲームの話をしていた。


 案内すべき車はほとんどこない。車の通りは少なくないが、ほとんどが通過していく。


 わたしたちは昨日の団体戦の時もここにいた。おかげで、南先輩が団体戦に出たのかどうかわからなかった。わたしが戻った頃には開会式は終わっていたので、南先輩が胴着を着ていたのかどうかはわからず、女子の応援をしているうちに男子の試合も行われていたようで、気づいた時には男子はとっくに試合を終えて全員ジャージになっていた。男子も女子も結果はふるわず、団体戦は地区大会で終わったようだ。




 会話も途絶え途絶えで時間ばかり過ぎ、三十分ほど経った頃、碧が腕時計を見た。


「そろそろ開会式じゃないかな?」
「うん、かも。うちらいつ戻れるのかなぁ」


 わたしはまた立ち上がって、大きく伸びをした。それからふと橋場の声が耳に入って振り返る。


「ねえ、橋場がしゃべってるのって、テイルズの話ー?」


 聞き覚えのあるキャラクターの名前が聞こえてきたからそう訪ねたのだが、ビンゴだったようだ。


「そうだよー。さすが愛海」
「あ、そのゲーム、知ってる」


 そう言ったのは碧だった。わたしはまた彼女を振り返る。


「えっ碧ちゃん結構好きな感じ?」
「うん。テイルズシリーズはみんなやってるから」
「ほんとー!? わたしも好きでね、」


 話が弾もうとしたまさにそのとき、


「うわー。そこの二人は南先輩とも気が合うんだろうな」


 橋場の口から急に南先輩の名前が出てきたので、わたしは喉に唾が引っかかってむせてしまった。


「あ……大丈夫? 都築さん」


 ごほごほしていると、碧が背中をさすってくれた。数回深呼吸して、わたしも落ち着く。


「う、うん。ありがとう。あと、下の名前でいいよ」


 わたしも碧ちゃんて呼んでるしね。


 碧がぱっと笑顔になった。


「うん、愛海ちゃん!」






 今日の仕事は昨日より長引かず、わたしたちは吉沢先生に呼ばれて開会式の前に体育館に戻ることができた。これが昨日であれば南先輩が団体に出るのかわかったのに、とわたしは思う。


 普通整列では部長副部長を先頭に学年順に並ぶのだが、今日の南先輩は何故か一番後ろにいた。その目の前は勿論というべきか橋場だ。男子のほうが人数は少ないので、女子の後ろから二番目あたりにいたわたしからは二人の様子がよく見えた。


 開会式が始まるのを待っていたとき、突然、ガタンと何かが落ちるような音がした。


 わたしが音のした方を見ると、二年生の原野綾香先輩が倒れていた。一斉に全員の注目がそこへ行く。


 綾香先輩の顔は青白く、唇は血の気がなかった。会場がうっすらざわめき、女子の先輩が何人か駆け寄る。わたしが視線をすべらせると、身を傾けて見ようとした橋場の肩を南先輩が掴んで前を向かせていた。そのときなんとなく、南先輩が一番後ろにいた理由がわかった気がした。一年生が態度よく参加しているかどうか監督するためかもしれない。あくまで推測だが。


「先生!」


 誰かが叫び、ステージの上で監督会議に参加していた菅原先生が、真っ先にステージを飛び降りて駆け寄った。


 菅原先生が綾香先輩を抱えて体育館を出て行くと、黒目二中の先生が場を静粛にさせ、通常通り開会式を行う旨を告げた。




 黒目一中の生徒たちは順調に勝ちを増やし、地区大会に進出した男子三名女子四名は全員が一回戦を突破した。


 二回戦が始まる前に水分をとっておこうと、わたしは一中の荷物の山から自分の水筒を探していると、背中から二人分の会話が近づいてきた。どんな話題かはよく聞こえなかったが、ただ一言、南先輩のこんな言葉だけがはっきりと耳に入った。


「あの頃は楽しかったよな……。元谷もいたし」


 わたしは振り返った。南先輩が高塚先輩に何か喋りながら通り過ぎていった。地区大会に出場している高塚先輩は胴着姿だ。


(元谷……? って、あの、幽霊部員の先輩か……)


 わたしは静かに息を吐いた。


 わたしは先輩と出会ってまだ二ヶ月しか経っていないのだから、南先輩のことで、知らないことはあまりにも多すぎる。こうして遠目に見ている限り、その空白が埋まることはないなんていうことはわかっていた。でも、自分に何ができるというのだろう。


 不意に川畑先輩のことが思い浮かんだ。なんだかんだ言ってあの人も、わたしよりは南先輩のことをよく知っているし、わたしより南先輩と親しい関係にある。そしてそんな人間はごまんといた。


 わたしは荷物に向き直り、


「…………」
「よっ、マナ!」


 荷物山の頂にあぐらをかく原野綾香先輩を見て、戸惑った。


 綾香先輩はほかの先輩に比べると進んで話しかけてくれるほうではなく、かといって同級生とうるさくしゃべっているところも見たことがなかったので、もの静かで清楚、か弱いというイメージがあった。その先輩がちょっと男勝り口調で声をかけてきた。……あ、もしかしたら見間違いかもしれない。もう一度振り返ってみたら別な先輩になっているかも。


「いやいやいやちょっとちょっと、何で目をそらすの?」
「……綾香先輩! もう大丈夫なんですね! 心配しました」
「うんありがとうー。でもなんか今一瞬」
「幻覚ですよ」
「そうか幻覚か」


 とりあえず綾香先輩は幻覚でないということがこれではっきりした。


(やっぱり、知り合って数ヶ月の人の印象なんてころころ変わるんだなぁ)


 わたしはそんなことを思う。綾香先輩は腕を組み、高塚先輩と南先輩の足取りを見つめていた。


「……ひとつ聞きたいんだけど」
「はい」


 先輩はきわめてさりげなく言葉を続けた。


「マナが南を好きっていうのは本当?」


 わたしは先輩を見つめ、茶化すように首をかしげた。


 今のところは本当だし、この先輩に否定する理由はほとんどないが……。


「いやぁ……、わからないんです」
「わからない?」
「先輩が引退したら、すぐ忘れるかもしれませんから」


 自分が持っているのは恋心だと、昨日はっきり気づいたのは事実。かといって、先輩が引退すれば忘れるだろう、という不安もあった。ただでさえ一日で憧れからすりかわった恋心だ。一ヶ月もすれば薄れてしまって不思議はない。今のわたしが、どんなに南先輩を知りたいと思っても。


 そんな風に考えるのは、つい三ヶ月前に六年間の片想いが破れて、そのときわたしは一日中泣いたわりに翌日には立ち直ってしまったからだった。小学生の恋なんて所詮そんなもので、今中学一年生のわたしはその頃と大して変わっていないように思えた。


 わたしは曖昧に笑って、先輩にこう言った。


「だから、あんまり気にしなくていいと思います。いや、忘れます」
「ふーん、そうか」


 綾香先輩の口調は、つまらなさそうにではなく、ただ単純に納得した、というようだった。


「ま、あたしのときはそうならなかったけどねぇ……」
「はい?」


 よく聞こえなかったので聞き返したとき、後方から真由美先輩が呼ぶ声がした。


「おーい、二人ー! 小日向先輩の試合始まるよー!」
「はーい、ひーちゃん」


 綾香先輩はそれじゃお先、と言って荷物の山から降りた。わたしは慌てて水筒を探し当て、飲んでから急いで後を追った。




 三回戦を突破した時点で県大会出場決定になる。女子の先輩が一人、二回戦で、高塚先輩が三回戦で敗れてしまったので、小日向部長と広末先輩、そして女子の青木部長ともう二人が県大会に出場できることになった。


 高塚先輩が当たった相手は決勝まで勝ち進み、前年の優勝者である広末先輩と当たった。


 決勝戦が始まる前、応援場所についたわたしの近くで、茜が吉沢ハルカ先輩に話しかけていた。


「広末先輩が去年優勝したって聞きましたけど、てことは、三年生にも勝ったんですか」
「いや、違うよ。広末先輩が優勝したのは新人戦っていう、秋の大会。一年生のデビュー戦でもあるよ」


 なるほど、と茜。わたしも納得した。


(その頃にはわたしも強くなってるかなぁ)


 そんなことを思っていると、太鼓が鳴った。第一試合と決勝だけ鳴らされる。最初はゆっくり、どんどんテンポが早くなり、その間に試合者は礼をして蹲踞につなぐ。


 広末先輩も対戦相手も、背筋を伸ばし、仰々しく剣を抜いた。


 そして、会場の視線がすべて集まる中、広末先輩は糸の切れた人形のように――ありきたりな比喩だが、本当にその通りに――ばたりと倒れた。


「え……?」


 わたしの後ろで、真由美先輩が途方にくれた声をだした。


「どうしたの?」「大丈夫?」「死んでないよな?」


 ざわめきは黒目一中の男子から、波動のように会場中に広まっていく。真由美先輩は真っ青な顔をして、呆然と兄を見つめた。


 広末先輩に真っ先に駆け寄ったのは対戦相手だった。それからすぐに審判の先生が二、三人がかりで広末先輩を運び出す。


 真由美先輩ががばっと立ち上がり、広末先輩のもとへ走り寄った。


「お兄ちゃん!」


 それにつられるように、黒目一中生が全員で広末先輩を取り囲んだ。


 意識を失ったわけではないらしい。どうやら、蹲踞するときに足をくじいたようだ。広末先輩は歯を食いしばり、目には涙が浮かんでいた。


「救急箱はどこだ?」


 菅原先生が一年生に尋ねると、二年生に小突かれた比佐が救急箱を取りに走って行った。吉沢先生が広末先輩のそばに膝をついて口を開く。


「広末、試合は――」
「出られます」


 吉沢先生の言葉を遮り、広末先輩ははっきりと答えた。


「できるの!?」


 真由美先輩は泣かんばかりだったが、広末先輩は真由美先輩にも頷いた。


「大したことねーよ」


 それじゃ、と南先輩が、一同を見回した。


「こんなに人が多くちゃ、広末が落ち着けねえんじゃねーの? 妹以外は戻ろうぜ」






 ほどなくして広末先輩はコートに戻ってきた。左足をひきずっている。真由美先輩は広末先輩が立ち上がっても兄を心配してぐずぐず泣いていたが、最終的には、


「妹、お前、広末が出るっていったんだから信じてやれ」


 という高塚先輩の言葉に頷いて、今は静かに兄を見守っていた。その様子を見た南先輩は、いつ見ても広末家の兄妹愛は美しいだとか言っていた。


「そんなこと言って、南先輩優しいよね。先輩兄妹のこと気遣ってさ」


 試合開始の拍手にまぎれて桜がつぶやく。そうだね、とわたしは小さく言った。


 また南先輩の新たな一面を知ったが、きっとこれだけが南先輩のすべてであるはずはない。




 地区大会はもうすぐ終わる。わたしは、怪我をした広末先輩には悪いが、決勝戦が少しでも長引けばいい、と考えた。




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