top



7 剣道部の不思議




 このようなどこにでもありそうな剣道部の中にも、(主に茜が気づくのだが)謎だと言われる物事がいくつかある。


 高塚先輩は何故あんなに背が低いのか、部室に剣道に関係のない漫画があるのは何故か、隅に置かれたパイプ椅子に需要はあるのか、といった、ほとんどがくだらないものだったのだが――。




「連絡網、見たことある?」


 ある日の帰り道、茜が唐突にこう尋ねてきた。わたしは普段茜、葵、菫、桜の四人と登下校している。


「あるよ」


 わたしはなんだろうと思いながらそう答えた。


 連絡網は一ヶ月ほど前の五月初めに配られたが、茜たちと遊ぶ約束をするときに使う以外は、南先輩の下の名前が "良明" だと確認したくらいで、未だちゃんとした連絡が回ってきたことはない。


「元谷先輩って知ってる?」
「もとあ?」


 わたしは聞き返した。


「も・と・や。知らないか」
「聞いたこともない」


 わたしは正直に言った。先輩の名前は、そろそろ三年生含め全員覚えたつもりだった。


「うん、実はあたしも知らない。見たことないよね?」
「ないね。連絡網に載ってるの?」
「そうなの」


 茜が頷いたとき、少し前を歩いていた菫が振り返った。


「今、元谷先輩って言った? 元谷康平?」
「うそ、菫知ってるの?」
「同じマンションだし、先輩の妹がうちの妹と仲いいんだ。しゃべったことないけど」


 菫は表情で、"元谷先輩がどうかしたの?" と言っていた。


 わたしがそれに答える。


「剣道部らしいんだけど、見たことないよね?」
「そうなの? ないない。防具もなくない?」


 菫が見たことがないというのなら、部活に顔を出したことは本当に一度もないようだ。


「幽霊部員ってやつ?」
「三年生?」


 葵と桜も話に参加してきた。


「どうして来ないんだろうね?」


 わたしが言うと、桜が人差し指を立てて振った。


「そりゃ、なんでもありだよ。単純に部活が嫌以外なら、吉沢先生にいじめられたとか」
「うわぁ、ありそー……」


 菫が気の毒そうな顔をした。


 女性コーチの吉沢先生は、女子が見ていても不思議になるくらいに女子贔屓をする。男子はこれだから……、が口癖だ。時々、モップを取りに行くときなど、三年男子の先輩が着替えながらぼやいているのが聞こえていた。


「吉沢先生、剣道世間でも色々言われてるからねぇ」


 祖父の代まで剣道一家の桜は、肩をすくめてそう言った。


「そうなの?」
「そりゃあもう。本当はうちのお母さん、黒目一中に入れたくなかったって言ってた」
「相当だね……」


 葵が力なく笑った。


 あっ、と茜。


「ねえ、わたしたちで元谷先輩を連れ戻すのがドラマなんじゃん?」
「はぁ?」


 唐突な茜の発言にいつも冷たく返すのが菫である。


「原因もわかんないのにどうやって連れ戻すの、ってか交流ないし」
「あなたの力が必要なの! とかなんとか」
「別に必要になってねーよ」
「残念だけどドラマの見すぎだよ」


 二人の掛け合いに笑いながら、わたしは茜にそう言ってやった。


「うーん、でも、なんか気になるんだよねえ……」


 と茜。


 三年生の先輩とは、女子含めあまり話す機会がなかった。なかなか尋ねやすい話題ともいえないので、この経緯を知る機会はないだろうと思われた。




 だが、意外にも、その機会はすぐにやってきた。


 いつものように先輩は武道場で、一年生は多目的ホールで部活をしていると、川畑先輩という女子の先輩が遅れてやってきた。この先輩は生徒会の役員らしく、部活を休んだり、遅刻してきたりすることは少なくない。


 川畑先輩は二言三言菅原先生と話をして、一年生の筋トレ監督にやってきた。


 なかなか明るい先輩であり、一年生は三年生との間に多少なり壁を感じていたのだが、すぐにそれはなくなった。


「それじゃ、こんなもんで休憩にしようか」


 ……メニューは厳しく、先輩のその言葉が出た瞬間皆はばったりほとんど倒れるようになったが。


 休憩時間中、川畑先輩は何か小さく折りたたんだ紙を見て難しい顔をしていた。


「何ですか? それ」


 誰とでもすぐ打ち解ける能力が一番高いのは茜だ。茜はその紙を覗き込み、先輩に尋ねた。


「うん? トーナメント表」


 先輩はその紙を床に広げた。


「これ、来週の学総の個人戦。みんなに、見るべき試合を教えてあげよう」


 わあわあと、この場にいない桜以外の一年女子六名が先輩の周りに集まった。先輩は蛍光ペンを取り出す。


「まあ、もちろん女子の先輩の試合は全部見てね。今から言うのは男子」


 まず、先輩は四隅に印をつけた。


「トーナメント表の四隅って、強いんだよ」
「広末先輩がいますねー」


 茜が第一試合を指差した。


「そうだね。広末、去年地区大会優勝したから。あと、部長の小日向もシード」


 ちなみにこの広末先輩の妹も二年生の先輩にいる。兄妹揃って近所の剣道連盟出身者らしい。小日向部長の弟はわたしたちと同い年だが、剣道部ではない。


 先輩は高塚先輩のところにも印をつけた。


「高塚。市大会はこいつが優勝したんだよ。コケなけりゃ地区も優勝できたろうに」


 おお、と一年生から感嘆の声が漏れた。


 川畑先輩は自分のことかのように得意げに、


「こいつは強いってか上手い、のほうだね。勉強になる。頭もいいしなあ」


 と言った。


 それから〜、とペンをくるくるもてあそび、南先輩のところにも印をつけかけて、やめた。


「南は……いいな」


 すると、くすくす笑うのが葵と茜だ。


「愛海、残念〜」
「いや、別に……」


 そのやりとりを川畑先輩は聞き逃さなかった。


「えっ何!? 南のこと好きなの?」
「ち、違いま」
「そうなんですよーたぶん!」


 わたしは軽く手を振ったが、茜が前に乗り出したおかげで恐らく否定の言葉は届かなかっただろう。


「えー。やめたほうがいいよ、あいつめっちゃオタクでナルシストだしね」


 先輩はそういいながらも笑っている。


「あいつのお父さんカッコいいらしいんだけど、あたしが『南の父さんカッコいいんだって?』って言ったらあいつなんて言ったと思う? 『俺の方がカッコいいし』だよ」


 ぷ、と一年生の半分くらいは噴き出し、半分くらいは目に見える角度で引いた。わたしは引いてみた。


「いや、本当に、好きではないので。茜の言うことは信用しないでくださいね」


 わたしがそう言うまでに、川畑先輩はどこで知ったのだか、南先輩の誕生日や血液型、趣味などなどを勝手に教えてくれていた。誕生日はもう過ぎていた。


「あいつ、うちの斜め後ろの席なんだけど、あれはヤバいね。授業中南ワールドを繰り広げているし。この間水樹奈々のサインあげたらめっちゃ喜んでたし」


 水樹奈々というのはアイドル声優だ。最近はたまにテレビにも出ているが、川畑先輩が何故サインを持っていたのかは永遠に謎である。


「彼女はいるんですか?」


 茜が悪乗りして尋ねた。


「いや、いないいない、いたこともないと思うよ。ってかね、女に興味ないって言ってた」
「ホモじゃん」


 ぼそ、と菫がつぶやいたが、先輩には聞こえなかっただろう。


「あ、集合写真あるよ。見る?」


 先輩がスクールバックから横長の写真を取り出した。


「見たいですっ!」

 と言ったのはやっぱり茜。さっきはドン引きしていたのに、これではまるで茜のほうが南先輩を好きみたいだ。


 集合写真は、校舎をバックに中庭で取られていた。よく晴れた空の下、南先輩は黒い肌に映える白い歯を見せて笑っていた。


「ああ〜愛海。こんな笑顔で "マナ♪" って呼ばれたいねえ……」


 そんなことを言ったのは、中学で初めて知り合った皐。最初よりはだいぶ壁もなくなったものの、彼女はどちらかといえば男子と一緒にいるほうが好きらしく、休憩時間などいつも男子の方へ行ってしまうので、茜たちに比べればあまり話す機会はなかった。それなのにこのイジリっぷりは、ある意味才能かもしれない。


「いやいやいやいや、違うからね。あの、先輩、本当に違うんで、このこと南先輩には黙っていてくださいね……」


 川畑先輩はうっすら微笑み、写真をしまった。


「まっいいとしよう。でも一応、南の試合もチェックに入れておくか」


 蛍光ペンで改めて南先輩にも印をつけると、先輩はトーナメント表をつまんでひらひらさせた。


「他校同士の試合はね、ここで印つけた人以外には見なくていいよ。でも、あんまり堂々とそっぽをむいてはいけない。寝るなら座ったまま目を開けて寝るべし」


 それは恐らく寝るとはいわないのではないだろうか。


「まあ、バレなきゃいいのさ」


 先輩はそういって笑った。それから、


「明日の大会について、なにか質問ある?」


 と呼びかける。


 だが、大会での動きについては前回のときに吉沢先生に散々言われていたので、今更質問も出ることはなく、すると先輩は少し考えた後、


「じゃあさ。なんでもいいから、剣道部についてわかんないことあったら訊いてよ。三年生にしか訊けないこと、あるかもよ」


 すると、今度はまばらに質問が出た。例えば部室に置かれている漫画の正体。これについては先輩も知らないらしく、入学したときからあったという。パイプ椅子は、先輩が一年生の頃保護者会で使われたものを一つだけしまい忘れて以来あるらしい。高塚先輩は何故あんなに背が小さいのか、という質問には、先輩は笑ってそのうちきっと伸びる、と答えた。


 そのような質問がしばらく続いた後、そういえば、と菫が手を上げた。控えめな声で尋ねる。


「元谷先輩って、剣道部なんですか?」


 口調からして、それほど気になっているわけでもないようだった。教えてくれるなら、というような感じだ。


 すると、ああー、と川畑先輩は拳で軽く頭を叩いた。


「幽霊部員だよ。二年の終わり、恩田と大喧嘩して……まあ気まずくなったわけだ」


 恩田先輩なら、わたしも知っている。目がとても細くて色白の先輩だ。恩田先輩のほうは幽霊部員にならなかったわけか。


「三年で赤いベルトの奴がいたら元谷だよ。菅原先生が呼び戻そうとしてるんだけどねえ。無駄だね」


 丁度その時部活動時間終了の鐘が鳴り、どうしてその二人の先輩が喧嘩したのかは聞きそびれてしまったが、それほど興味があるわけでもない。わたしたちはその会はお開きにして、その辺で遊びまわっていた男子をかき集め、武道場へ戻った。




BACK NOVEL TOP NEXT