top



6 まだ大丈夫




 防具が届いてもすぐにつけて練習するわけではなく、その試合の日以降も三年生が引退するまではまだ先輩の監督の下に筋トレを行う日々だった。時々、防具のつけかたを練習することが加わったくらいだ。


 わたしは相変わらず一番鈍かったが、入部三ヶ月目に突入した六月にもなると、目に見えて体力も筋肉もついてきた。


 ある日、体重計に乗ってみると、体重は小学生のときより三キロほど減っていて、少しいい気になり、その次の休日には洋服を買いに行った。




 そんなことより、三年生の引退が迫っていた。


 三年生は学校総合体育大会、通称学総が終わると引退となる――、と聞いていたが、わたしはいまいち引退とはどういうものなのか感覚がつかめなかった。


「ねえ、三年生って引退したらもうこないの?」


 ある日の部活が終わり、例によって三年男子という "難関" をきりぬけて倉庫に入ってから、わたしは尋ねた。


 そのとき一緒にいたのは茜、菫、桜ではなく、葵という、同じマンションに住んでいる小一からの幼馴染であった。小学校が一緒だった五人の中では最も付き合いが古い。女子のわりに背が高く、百六十五センチ程度ある。


 葵はくすりと笑った。


「南先輩?」
「う、うーん……?」


 確かにそれが気になるのだから、否定する意味はあるのだろうかという気持ちで、わたしは首をかしげることで妥協した。


 すると、葵からその話をふってきたのに、彼女は「えぇ」と目を丸くした。


「マナちゃんマジだったの?」
「あー、そういわれるとそうではない気も……」


 葵が手渡してきたモップを受け取り、わたしたちは倉庫から出た。三年男子の先輩はもう着替え終わり、武道場の中心付近で円をつくって座っていた。部活が終わるといつもそうやって先生からの連絡を受け取り、解散するのだ。


「なんていうか……憧れなの……かなあ?」


 円陣のなかに南先輩の背中を見つけて、わたしはため息混じりにそう言った。


 南先輩が楽しそうだとこちらも嬉しくなるし、南先輩が笑っているとついそちらを見てしまうし、部活を休んでいると心配になり、一年男子や女子の先輩と話していると、ほんのわずか嫉妬をしてしまう。


 かといって付き合いたいのかといわれればそういう気持ちはない。


 どういう感情なのか、自分でもわからなかった。


 わたしは数回「なんていうか……」を繰り返し、最終的に、


「わかんない」


 とまとめた。まとまっていない。


 ふ、と葵が笑った。


「付き合いたい、とか思わないの?」
「あんまり」
「ふーん、じゃあ、憧れなのかもね、うん」
「そうなのかあ……」


 憧れで勉強が手につかなくなることってあるのかと思ったが、あながち間違いではない気もするし、わたしは黙っておくことにした。




 ぴたり、とモップの動きが二人同時に止まった。三年男子の先輩の背中の真後ろで。


 わたしたちは困った目配せを交わし、小さな声で「すいませ〜ん……」と声をかける。


 すると、高塚先輩が二人に気づき、立ち上がって同級生たちに声をかけた。


「おーい、お前等、モップの邪魔だから!」


 高塚先輩はわたしや葵より(だいぶ)身長が低かったが、こういう時は、不思議と百七十センチくらいはあるように思えた。


「あ、ありがとうございますっ」


 わたしたちはぺこぺこ頭を下げ、モップかけを再開した。


「それで、引退って結局どういうことなの?」
「あーなんか、学総って市大会から全国大会まであって、そこで負けたらその時点で引退して、部活に来なくなるんだってさ」
「え、そしたら、部活、どうなるの?」
「二年生の部長と副部長ができて、やるの」
「へえ……なんで引退するの?」
「受験勉強だよ。……マナちゃんお兄ちゃんいるよね?」


 兄がいるといっても、運動部ではなかったし――厳密には入部二ヶ月で陸上部をやめて囲碁将棋部に入って幽霊部員となったし、そういった話は全くしたことがなかった。


 モップを元通り倉庫の隅に収納し、さて、と葵。


「だからマナちゃん、南先輩にアプローチするなら今のうちだけど?」
「えっ? いや、いいよ、そんなの。だって、……そうだ!」


 わたしは急に自分がどういう気持ちなのか言い表せる言葉を見つけ、左の手のひらを右拳で軽く叩いた。


「恋っていうより、カッコいいって感じなの!」


 そう、先輩が休んで心配だったのも、つい見てしまうのも、他の人と話しているのを見て "わたしも話したい" と思うのも、この間何故か倉庫に一緒に入ってしまったのも、きっと、"そういう好き" ではなく、例えば芸能人を芸能人を追っかける "好き" と一緒なんだ。そう思うと妙にすがすがしい。


 わたしが自ら見つけ出したここ最近のはっきりしない気持ちへの答えに浸っていると、葵は冷やかすように、妙に冷静な返事をした。


「つまりは憧れだよね……。そんなカッコいいか?」
「顔じゃなくて……性格が」


 すると、彼女は肩をすくめた。


「そんなこと言って。本当に恋しちゃったらどうすんの?」
「まさか」


 わたしは笑い飛ばした。


「もしそうなっても、引退したら、すぐに忘れるって」




BACK NOVEL TOP NEXT