top



3 伏線




 わたしの言葉に、菅原先生は微笑み、ちょっと待ってろと言い残していなくなった。わたしはきょとんとして、座ったままだった。そして先生は本当にちょっとで戻ってきた。


 その手には、わたしには読めない漢字が行書で書かれた細長い布の包みが握られていた。不思議に思いながらわたしがそれを見ていると、先生は布包みから竹刀を取り出した。


 わたしが竹刀を間近で見たのはそれが初めてだった。入学するまで剣道とは全くの無縁で過ごし、ルールすら知らなかったわたしが竹刀の構造をよく知らないのもまた当然で、意外に部品が多い、と思ったことはよく覚えている。先端の革や、張ってある弦さえ、当時のわたしには見慣れないものだった。


 先生はそれをわたしに手渡した。


「立って。構えて」


 わたしが戸惑ったのも当たり前だ。三年生が引退するまで、一年生は廊下で筋トレをするか外周をする日々だったため、わたしは構え方はおろか、握り方すら知らなかった。


「いいから、見よう見まねで」


 そういわれても "見" たことがぜんぜんないんだって。

 しかたなく、わたしはほとんどを想像で補完した。肘は締まっておらず、右手を手前に握っていて、足はかかとが揃っていた。剣先は、垂直に近いほど高い。


 わたしが、これでどうですかと首をかしげると、先生も立ち上がって、今度は先生が言うとおりに構えた。手は左手を臍の前に、右手は添えるだけ。雑巾をしぼるように手首を入れること。剣先は、相手の喉元。足は右足を前に、左足は後ろでかかとを浮かす。


「ああ、なかなかやるじゃないか」


 菅原先生はそう満足げに言ったが、わたしは体中に力が入ってあまり綺麗な立ち方とも思えなかった。それを見透かしたように、


「その体勢、楽?」


 と尋ねる。楽なわけがない。わたしは首を横に振った。


「そうだろうな。普通に生きてちゃ絶対しない体勢だ」


 先生はそういうと、もう構えを解いていいと言った。


 再び向き合って座り、先生は竹刀を包みに戻しながらも、わたしからは目を離さないでこう言った。


「まず、剣道をスポーツだと思うな。剣道っていうのは、お前にとってまだ、未知の領域なんだ。きっと、やったことのないことを色々やると思う。ってことはだよ」


 菅原先生はここで声の調子を強くした。


「絶対上手くなる可能性はあるんだ。どんなスポーツで失敗しても。ひょろひょろがマッチョに勝つこともあるし、高塚みたいなチビが大会で優勝することもある。そういう可能性は、都築にもある。都築が強くなりたいと思う限りはな」


 わたしは曖昧に頷いた。先生の話は続く。


「先輩だって、一年生の今頃はさっきのお前みたいな構えだった。でも、今じゃ全員ちゃんとした構えで動き回ってる。お前は剣道を全然知らないだろう? つまり、剣道っていう未知の中の、さらに未知の領域にいるんだ。
 もしもほかにやりたいことがあるなら、俺は止めない。だが、そうじゃないなら、もう少しくらいやってみないか? 筋トレなんていくらでも変えられるんだから」


 わたしが黙り込むと、先生はこう言った。


「すぐにとは言わないが……。防具は高価だし、保護者の人と相談してみてくれ。あと、吉沢先生とも」


 その時、部活終了のチャイムが鳴った。




 先生の話のおかげで、部活をやめる気は少しなくなったものの、母親と話し合うのは避けられない。運動神経抜群だったという母親に励まされたところでなにも変わらないし、余計落ち込みそうな気がした。そしてその通りになった。


 帰宅すると、母親に、勝手に電話したことを謝られた。謝るくらいならしないでほしかったよ、と思ったが口には出さず、そのまま部活について話し合うことになった。


「挫折なんて何をしてもある」というのが母親の主張だった。


 それを聞いてわたしは怒って泣き出してしまった。一日で二回も泣いたのはもしかしたら初めてだ。


「少なくともわたしがここまで挫折をするのは運動関連のことだけだよ!」


 テストの点数がよくても運動会で得点になるわけじゃない。テストの点数が悪くても自分以外損する人はいない。でも、運動ができれば運動会で得点になる。運動ができないとみんなの足をひっぱってしまう。理不尽じゃないか。少なくとも母にはわからないだろうけれど。運動会ではいつも大活躍だったとかいう母には。


 そう言ってやると、母親は泣き出した。わたしはまたそれに腹が立った。泣きたいのはいつだってわたしなのに、どうしてあんたまで泣くんだ! と思った。そこまでは流石に言えなかったが、おかげでまた一人悶々とすることになった。


 口論は一旦そこでやめることにして、父親が帰ってきてから改めて冷静に話し合った。


 わたしは、辞めるなら防具が届くまでに辞めたほうがいいと言った。母のおかげで、続ける気は完全になくなってしまった。


 すると、父はこう言った。


「そんなに結論を急ぐことはない。まだろくに竹刀を振ったこともないんだろう? もう少し剣道に触れてみてから、やっぱり合わないと思ったら辞めればいいんじゃないか。
 金なんて心配しなくてもいいから。愛海が、本当にやりたいことを見つけるためにかかったお金だということなら、防具の代金も決して無駄にはならないんだから」


 その言葉が、わたしにとって、どれだけ救いになったことだろう。


 わたしは父親の言葉に甘えることにしたが、やっぱりまだ部活は辞める気のほうが強かった。


 そして、この時母親が泣き出したことで、これ以後二度と、わたしは母親に何かを相談したり、母親の前で泣いたりすることができなくなった。また母親に怒鳴り散らすようなことになってしまう気がしたし、そうなって泣き出されたら正直言って面倒だったからだ。




 その日にコーチの吉沢先生から自宅に電話があり、金曜日に詳しく話を聞きたいと言われた。


 来る金曜日。


「一、二年女子! ミーティングするよー」


 部活が始まる前、声を張ったのは吉沢ハルカ先輩だ。


 まさか、先輩にまで伝わったのだろうか。わたしはぎくりとした。


 ミーティングの内容は告げられなかった。三年生以外の女子はぞろぞろと多目的ホールで向かい、円を作ってあぐらをかく。この近くではよくバスケ部が筋トレをしているものだが、今日はいなかった。


 わたしはどんな議題なのかと、初めてのミーティングでそわそわしている一年生とは関係なしに身をこわばらせていた。


 咳払いをして話し始めたのは、やはりハルカ先輩。この先輩のリーダーシップは、先生の娘であるからみんなが遠慮しているわけではないようだ。性格から自然と身に付いたものに違いない。


「えーっとね。今日は、みんなに……夢について語ってもらおうと思う」


 夢。部活をやっていく上での、目標。


 それは一年生に向けられた言葉だった。これからの二年間部活をやっていく上で、指針となるものをつくること。


 このときわたしが何と言ったのか、実はもうよく覚えていない。ただ、この次の日にわたしが辞めるなんていったら先輩はどう思うだろうかということばかり考えていたことは記憶に残っている。




 今日は吉沢先生が三年生だけで稽古したいと言ったらしいので、その後はみんなのあだ名を決めたりして過ごした。


 少しの罪悪感を感じながらも楽しかった時間は過ぎ、部活の終わり際、いつものようにモップをかけていると、わたしだけ吉沢先生と菅原先生に呼び出された。


 暗い気持ちでそばに行くと、わたしとは真逆に明るい表情をした吉沢コーチは、わたしの顔を見るなりこう言った。


「部活、続けてもらうことにしたから」


 言葉の意味を理解するのに通常の一.五倍くらいはかかった。


「はい?」


 否。一.五倍かけてもあまり理解はできなかった。


「もう先生方であなたの面倒を見るって決めたの。そういうこと」


 吉沢コーチの隣では、菅原先生が嬉しそうに頷いている。


「でも……」
「でもじゃなくて。もう決定ね。大丈夫よ、あなたなら」


 大丈夫なんですか。


 その自信が一体どこからくるのかわたしには到底わからなかったが、いわれるがままに部活を続けることになってしまった。


BACK NOVEL TOP NEXT