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1.入部初日


 南良明先輩と出会ったのは、わたしが黒目市立第一中学校に入学したばかりで、右も左もわからぬ一年生だった頃。


 四月という季節に埋もれるほどのありふれた出会いだった。ほかの多くの同級生たちがそうであったように、わたしも、新入部員として南先輩と出会った。


 当時のわたしといえば、小学校最後のマラソン大会でビリツーだったほど、徒競走で最下位以外になったことはないほど、握力が一桁だったほど、体力テストの評価が柔軟性以外 "D" だったほど、運動能力といったものに恵まれていなかった。


 そんなわたしが剣道部に誘われたのは、部活案内を見ながら、美術部に入ろうかな、なんてぼんやりと考えていたときだ。


 誘ってきたのは小学五年生のときから付き合いのある親友・桜で、わたしはいつも、その子を含めた七人くらいのグループで行動していた。


 彼女は祖父まで剣道をしている剣道一家に生まれ、わたしと仲良くなったときにはすでに剣道をしていた。一緒に遊んでいると、剣道の時間だから、と彼女だけ抜けて帰ることがあったから、中学でも剣道部に入るんだろうなと思っていた。まさか、後にわたしも入ることになるとは思わなかったけど。


 最初は迷ったものの、美術部がほとんど漫画研究部になっていたこと、他にやりたいこともないこと、先輩が優しくて部内全体が明るかったこと。そういったことにも背中を押され、わたしは剣道部への入部を決めた。




 他にも迷っていた友達が三人剣道部へ入部することにしたので、本入部の日、わたしたちは五人で武道場へ向かった。


 黒目第一中学校は、数年前に建てられたばかりの新校舎なだけあって、かなり斬新なつくりをしていた。校門をくぐり、中庭を通って昇降口から中に入ると、まず目に入るのが三階まで吹き抜ける多目的ホール。教室の四倍くらいの広さはあるが、何があるともいえない空間で、多目的であるわけだから何に使うのかも定まっていない。体育館は別にある。ホール向かって右手が通常教室のある南棟、左手が特別教室のそろう北棟。武道場は北棟にあって、こちらもまた二階まで吹き抜けているから、二階廊下の窓からは武道場のほぼ全容を見下ろすことができる。


 北棟は三階建てで、ホールの上部は屋上庭園になっていた。南棟は四階建てで、屋上はプール。南棟の一、二階は三年生、三階は二年生、そして四階は一年生の教室があてがわれているので、一年生は廊下から屋上庭園をよく見ることができた。


 三階にあるんだか二階にあるんだかの音楽室に比べれば、武道場を探すのはかなり容易だったので、わたしたちは迷うこともなく武道場にたどりついた。


 しかし、その日は入部初日だというのに、武道場は保護者会で使われてしまっていた。というわけで、武道場のすぐ隣にある多目的ホールでわたしたちは顔合わせをした。


 先輩方は感激していた。わたしたちは仮入部にあまりいかなかったので、こんなに入ってくるとは思わなかったらしい。わたしたちの他に、女子の一年生は二人しかいなかった。


 男子は五人。一人をのぞいて全員同じ小学校で、嫌いとはいかないけれど、あまりいい思い出のない人たちだった。




 それから、一年生が一人ずつ自己紹介をすることになった。


 わたしには特に目立つ特徴というものはない。もちろん運動神経のことはなしにしてだ。外見で言えば、背の順は中ごろちょっと手前、目に見えるようなデブではないけどほっそりしているわけでもない。顔立ちもごくごく普通だと思う。嘆き悲しむほどじゃないけど、もう少し可愛く生まれたかった。髪の長さは肩より少し長いくらいで、これも長くはないが短くもないといった感じだ。
 小学校の成績はそれほど悪くなかったけど、中学に入ったらどうなるかはわからない程度。これという趣味もなく、ゲームをちょこちょこやるだけ。そうでなければ読書。ジャンルはまちまち。それでもなければ寝る。つまらない人間だ、とつくづく思う。




 当然そんな立ち入ったことまで話すことはなく、出身小学校と、一言を言っただけでわたしの自己紹介は終わった。経験者は桜と、他校の男子が一人だけだった。


 全員に順番が回りきった頃、見るからに学校の先生ではない、四十代くらいの女性がやってきた。剣道部の外部指導コーチらしく、仮入部のときにちらっと顔だけは見ていた。


 女性は吉沢先生と名乗り、二年生女子の吉沢ハルカ先輩の母親だといった。確かに顔はよく似ている。ハルカ先輩は女子唯一のショートカットなので目立っていて、わたしはすぐに顔を覚えていた。




 吉沢先生の指示で、武道場が空くまでの間ランニングをしてくることになった。




 黒目第一中学は、小規模な雑木林に囲まれているので、外周をすると千八百メートルくらいはある。


 小学校の持久走大会だってこんなには走らない。わたしは残り二百メートルくらいのところで歩きはじめ、嘔吐しそうになったのでランニングが終わるとすぐにトイレに行った。ありがたいことに吐くことはなかったが、すっきりしない気持ちで遅れて武道場に行った。わたしは、早くもこの先に不安を抱き始めていた。




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